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2013/01/30

牛の解体作業が見学できるらしい

牛が「肉」になる過程には、屠畜、解体といった作業が必要になります。

屠畜とは簡単に言えば「家畜を殺すこと」です。
牛肉が消費者に届けられるためには、避けては通れない作業です。

この屠畜・解体といった作業が行われるのが「と場・と畜場」。
(屠るという字が常用漢字ではないため、施設の名前は ひらがなで記されます)

「食肉センター」と呼ぶところもあります。

全国で約150カ所ある施設のうち、数カ所は施設内の見学もさせてくれます。

その数少ない見学可能な施設「加古川市場」の事が1月15日付けの「食肉通信」に書かれていました。

業界紙を丸ごと転載するのは、ちょっとまずいだろうと思うので要点のみ。

食肉センターがどういうものかを一般の人は全く知らない中、汚い、暗いというイメージを持つ人もいる。
また職業的な差別意識を持つ人もいる。
隠すことが却って悪い印象を与えているのでは?

どういう仕事をし、どう取り組んでいるかを見てもらい理解してもらうことで、
いかに衛生的に従事しており、大切な仕事だと知って貰えれば。

見学者を受け入れ“見られている”という意識から、従事者たちも自発的に、より衛生に気をつけて取り組むようになった。

H12年度に改築した際に「さらに開かれた市場にしていく必要があるだろう」との考えから見学室を設置。

H18年度に加古川市場を題材にしたドキュメンタリー映画「にくのひと」が話題になったことから、兵庫県は食肉センターの状況や食育問題について情報提供していくために、食肉の安全・安心を啓発するDVDを製作。

こういった取り組みから見学者は増加。現在は年間約1千名が訪れている。

見学者は、学生や教師、教育委員会、僧職関係、調理師専門学校生、自衛隊員、人権問題関連で一般企業関係者も。また、部分肉取引が主流になったため食肉業者の見学も多い。

見学室ではノッキングから放血、内臓摘出などオンレール方式による処理過程の様子を見ることができる。
放血など刺激の強い工程は見学窓を別に分けている。

その後、必要であればDVDの鑑賞、質疑応答の場も設けている。

見学者の声としては

貴重な体験をすることができた
レールによると畜作業が想像以上に衛生的だった
働いている人には感謝しなければならない
改めて命を頂いているということを実感した

中には残酷だという意見も

見学にあたっては加古川食肉産業協同組合事務所に申込み(見学は団体のみ)
見学目的などに問題がなければ、当日、兵庫県食肉検査センターの担当者が場内を案内する。

以上

記事の中の理事長の言葉

「生産と消費が分離してしまい、国内の農業が生活の基盤としてあることが忘れられてしまっている。見学への取り組みがそういった隔たりを解消するきっかけになれば」

確かに生産者と消費者が遠くになりすぎてる感はいなめません。
「牛肉が牛だった」という事も、牛を実際に見たことも触ったこともない人からすれば
なかなか結びつかない遠い世界の事なんですよね。

この加古川食肉センター見学の事が

いただきますをさがして(by 絵本『いただきます』プロジェクト)」に書かれています。Photo

牛の解体 〜加古川食肉センターで見学してきました。
http://itadakimasu.agasuke.net/beef01/

生々しい写真もありますので、特に牛の繁殖農家さんには刺激が強すぎるかもしれません。
(多分、実際に工程を追いながら見学しているより、写真で見る方がキツイかも)

ですが、こうやって書いてくれる方がいるからこそ、畜産に関係のない人たちに少しでも伝わる「何か」があるのだと思います。

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私も畜産農家、それも肉にするために牛を育てる肥育農家の端くれなので、 一度はきちんとその作業を見た方が良いと思いながら、なかなか踏み切れずにおりますが。 結構、覚悟がいるよね、やっぱ。

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コメント

廃用牛の屠畜で実際に見たことがあります。

一般の食肉市場の屠畜現場はあまり一般の人に公開されていませんからね。
血の臭いや流すお湯の温かさとかは現場でしか知りえないし、確かに生き物なのだということを実感させられます。

だから、最期までしっかり育て良い肉にしてあげたい。
道半ばで廃用してしまった牛に「ごめんね、かわいそうなことして。」
と言わずにいられません。

教師をしている友人にお席の席で「廃用した牛はかわいそうで、通常屠畜した牛はかわいそうじゃないのかよ?」
そう言われ、「この人先生でいて欲しくない!」と泣きそうになりました。
山崎さんはどう思われますか?

ushinomamaさん

コメントありがとうございます。
「世界屠畜紀行」の作者、内澤さんも、と場での臭いや温度についてその場でしかわからないこと、と書かれていた記憶があります。

>だから、最期までしっかり育て良い肉にしてあげたい。
>道半ばで廃用してしまった牛に「ごめんね、かわいそうなことして。」
>と言わずにいられません。

これ、私が思っている事とまったく同じです。
廃用牛というか、早期出荷せねばならない牛には本当に申し訳ないことをした、
と思いつつ、死亡させなかっただけ良しとしよう、と自分を慰め、
そして「少しだけでもお金になった」と算盤をはじいてしまう私がいる事も確かです。

キチンと育て上げ出荷する牛を送り出す時は、さびしさよりも「誇らしい気持ち」の方が強いです。
このあたりを一般の人に、どう伝えればわかって貰えるのか、良くわかりません。
だから、その先生をしている御友人が言われた事をどう思われるかと聞かれても、
・・・正直困っております。

口蹄疫の時に友人達の牛が殺処分になりました。
友人たちの事はもちろんですが、殺処分された牛の事が、ものすごく可哀そうでした。
これも「殺処分された牛はかわいそうで、通常屠畜する牛はかわいそうじゃないのか?」
って、言われそうですね。

なんかね、その辺の事を本当に分かって貰うのは実際に生業にしている人でない以上、
難しいのかなぁ、なんて思うのです。

だけど、ある程度の事は知って欲しいし、少なくとも牛肉が元は牛だったって事ぐらいは
きちんと理解してほしいです。
宮崎ローカルの番組で、小学生たちが肥育農家を訪れ餌を与え、その牛をトラックで送り出すというのをやってました。
その子たちが次に向かったのは鉄板焼きのお店で、そこでステーキを食べるのです。
子供たちは子供たちなりに「何か」を得たと思います。

まずは、そこから始めれば良いのかなと思うのです。
無理に食育に関する本を読ませたりするより、何らかの繋がりを感じてくれれば・・・

ご質問の答えにはなっていないと思いますが、思ってるままに書いてみました。
またコメントなど下さると嬉しいです。

そうですよね、わかってもらうのは難しいのかもしれませんね。
牛も風邪をひくことさえ知らないというか信じてくれない人さえいますもの。

育てた牛が肉になり口に入る。そこを知ってもらうことからですかね。

ブログ読ませてもらいますね。
私のブログは牛君の話少しですがボチボチ更新してます。
フェイスブックもちょっとずつ・・・

よろしくです。

ushinomamaさん

ウチの旦那があなたが書いた文章を読んで
「緊急屠畜した牛はかわいそうに決まってる。廃用牛だってかわいそうだ。
肉になって美味しいと言われる事なく死んでいく牛はかわいそうに決まってる」
と言いました。
そうなんですよね、肥育農家はお肉にするために育ててるんだし、
肥育牛はお肉になるために生まれてきたようなものですから。
途中で死なせてしまうのも、牛さんの能力を引き出すことも活かすこともしてやれなかったという事だし。

でも、これを分かって貰えるのも、なかなか難しそうですね。

>育てた牛が肉になり口に入る。そこを知ってもらうことからですかね。

時間はかかるかもしれないけど、ボチボチいきましょう。
これからもよろしくお願いします。

自分は2年ほど名古屋市中央卸売市場南部市場(南部と畜場)の中で仕事してました
と言っても、ラインの中ではなく裏方で直接ノッキングを見ることもありませんでしたが
放血以降の工程は大体見ています。
南部市場の場合は一般見学者は窓越しにクリーンゾーンだけ見ることが出来ます。
色々な事情で写真撮影は禁止されています。(豚はイラストがネット上に
基本的にラインに載せての解体になるのですが、病畜等は旧来の方法で解体します
一度だけ旧来の解体の現場に出くわしたことがありますが、ショックは旧来の方が
大きかったですね。

ある同僚が「牛や豚がかわいそうだ」と言った事がありました。
私は「確かにかわいそうだという感情はあるけど、それを食べて生きているのだから
牛や豚が良い肉として出荷させるのが私達の責任だ」と返答しました。
間接的ながらも命を頂く現場であり当事者だったのは間違いありません。

そんな現場にいた自分にとっては口蹄疫の件はショックでした。
それまで当たり前に見ていた宮崎県産の牛が1頭も入ってこなくなって…
ちょうど予定していた実家への帰省は愛知県と名古屋市から自粛要請されて
(事実上の移動禁止令)
自分の実家エリアが、まさに爆心地になって…あの時は二度と味わいたくないです。

それと去年の8月、大阪で行われた本橋成一さんの写真展「屠場」を見に行きました。
大判に引き伸ばされた写真の数々は息をのむばかりでした。
新旧のと畜場の違いは明瞭に判別が付いて、古いと畜場での解体はまさに職人技と
言えるものでした。
出来れば多くの人に写真展を見てほしいと思いました。

YOSHI@名古屋さん

装置のメンテナンスなどをやっていれば、どうしても目にする事がありますよね。
ウチの相方も、研修先のアメリカと神戸とで屠畜の現場は見ているそうです。
大学で皮を剥いだり解剖したりしていたので、初めて見た時も冷静に見れたと言ってます。

旧式の屠畜に関しては佐川さんの「牛を屠る」という本に詳しく書かれていますね。
本当に職人さんの世界です。優秀な技術者集団だったわけですよね。
屠る仕事をしていてもなぜか牛への愛情が感じられました。

「牛や豚がかわいそうだ」というのは、すごく正常な感覚だと思います。
かわいそうだと思いつつ食べてくれているのであれば、それはきちんと「繋がっている」と
その人が感じてくれているってことでしょう。

誤解を恐れず書くなら、何が何でも「命を頂くから、感謝しなくては」と思ってくれる必要はないと私は感じています。

前にも書いたけど「この肉は犠牲の上にできた肉、牛さんに感謝しなくては」
と、涙ながらに食べられる肉ではなく、
「この肉、美味しいよね。牛さん、ありがと~」
と、ニコニコしながら食べてくれる肉であったら嬉しいと思いますから。

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