ドキュメント口蹄疫 宮崎日日新聞社(農文協発行)
帯にある「記憶の風化を許さない」
まさにそのために書かれた本。

以下、書評というより当時を思い出しての感想だから、長いです。
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巻頭、口絵の写真から涙を流してしまった。そして読み進めるうちに当時を思い出し胸が締め付けられる。ウチは実際に牛を殺処分の憂き目に合わせたわけではない。それでも当時のつらさは尋常なものではなかった。
真綿で首を絞めつけられる・・・まさにそれであったから。
実際に感染した人、ワクチン接種により家畜を処分せねばならなかった人々に比べれば、取るに足らないものかもしれないが、じわじわと広がる口蹄疫の恐怖におののきながら日々を過ごしていた。
自分の農場の事だけでは済まない。
もし自分の農場が感染してしまえば、半径数キロ内の農場の家畜全部がワクチン接種のうえ、殺処分されてしまうかもしれないのだ。
頼りになるのは情報だけであったのに、ネット上の情報は、真実とはかけ離れた憶測や推測。
例えば、某国の研修生を某牧場が受け入れていた。
例えば、某牧場がチーズを作るために輸入した水牛が云々。
例えば、消毒薬が横流しされていた。
果ては、某国と某政権の陰謀論。などなど・・・・
現政権の不備を追及するためだけに書かれたものもあった。
政権を非難したいがため、書きたてたいがために「口蹄疫が利用されている」としか思えないもの。
政権がどうとか、当時の私達には関係なかったのだ。
誰でもいいから「この感染拡大を収めてくれ!」
その思いだけであったのに。
そして、頼りにすべき某獣医師の掲示板でも「知識」を持った人はいても「知恵」を授けてくれる人はいなかった。
「知識人達」は、ウイルスを封じ込めるためにどうすればよいのかを議論し始めるわけだが、その内容は「火山に患畜を投げ込む」だの「酢漬けにする」など、現実とはかけ離れた妄想としか言いようのないものだった。
まるで言葉遊びをしているか、あるいは、知識をひけらかすために状況を楽しんでいるかの様相で口蹄疫の恐怖に直面している私達の神経を逆なでするだけだった。
私達が牛を、豚を守るために何をなすべきが、今現在、どういう状況にあるのか・・・・
教えてくれるものは何もなかった(少なくとも当時はそう思っていた)・・・
そんな中で頼りになったのは、地元メディアの発信する「事実」「情報」だけだったと言えよう。
実際には「個人情報の保護」により、詳しい事は分からなかったが、事実のみを伝えてくれる地元紙をこれ程までに、ありがたい、と感じた事はなかった。
「県民が一丸とならなければ、この難局は乗り切れない」
「危機感を共有して貰うには、農家の悲惨な状況や、心の叫びを伝える事が最善」
この思いはやはり地元紙だからであったろう。
実際には、全国紙の地方版の記者達もかなり踏み込んだ記事を書いてくれている。
今までに何度も書いたが、毎日新聞社の石田記者の初発農場に関する記事は、当時国によって「初発」と断定された水牛農家に寄り添いつつ、事実を追求していこうとしていた。
何度も足を運び、電話をし、取材を重ねたであろう姿が文面からも伝わってくる。
(彼は終息後も口蹄疫がもたらす影響を書き続けてくれている。)
日本農業新聞は、えびの市に感染が広がった時、ホンの数メートル先で口蹄疫の感染疑いが出て、自分の牛を守る事が地域全体を守る事だと、牛舎で寝泊まりし他人を寄せ付けず、ひたすら牛を守った人の話を記事にしてくれた。(ワクチン接種による殺処分になるかならぬかの中、この農家さんを取り上げてくれた事は、大いに我々に希望を与えてくれた)
ただ、全社挙げての取り組みでは、やはり地元に根付いた「宮崎日日新聞」がはるかに強みを持っていた。購読者の多い地元紙は「危機感」、当時畜産農家の間でまん延していた「閉塞感」を県民の共通認識として浸透させてくれたのである。
これらは「県内の経済活動の停滞」を招いたかもしれないが、共通の危機意識を持つことが口蹄疫の終息に繋がったであろうことは否めないと思う。
口蹄疫から2年近くを過ぎ、「宮日」が当時を振り返った本を出した。
それが、この「ドキュメント口蹄疫」だ。
この時間を経ねば書けなかった事もあるだろうし、経たからこそ書けた事もあるのであろう。
発生当初から終息に向けての経緯、全国各地からの応援、新生と復興にかけての一連の流れがよくわかる様になっているが、本書には、記事になった事柄のほか、取材によって得られた「紙面には現れなかった」事実、記者たちの心情も多く書かれている。
口蹄疫の最中、宮崎を訪れた小沢氏の傍らに当時国政への意欲を見せていた渡辺創氏(現宮崎県議)の姿があったことは、その訪問が如実に選挙対策であったことを物語るし、赤松農相(当時)が口蹄疫の最中、メキシコ・キューバに訪問すると発表された時の宮日記者たちの驚き・失望や落胆はいかばかりであったか。。。。当事者でなければ理解しがたいかもしれない。
当時の東国原知事と山田農相のバトルに関して、ワクチン接種後「空白地帯」を作るというバカげた国の案に関して、県や市町村・自衛隊の連携不足などに関しても記者が目にし、思ったことが。
もちろん、当時の政権や行政に対する不安や懐疑だけでなく、「種牛の問題」に関しては報道の仕方に対して問題があったのではないかとの反省の弁もみえる。これも、時が経ち、色々な検証がなされたからこそ書けた事だろうと思う。
他にも当時は記事にされなかった、あるいは事実のみが淡々と描かれていた殺処分の現場の様子、そして、実際に宮崎県民が受けた風評被害などに関しても。
宮崎ナンバーを付けたトラックでは仕事が取れず、やむなく他県に事業所を作った運送会社。
発生地から遠く離れているのに取引を中止されたキャベツ農家。
宮崎県ナンバーの車で県外に出かけた一般県民が「熊本で車に石を投げられた」「鹿児島のレストランで入店を断られた」などの話。
実際にそんな話が聞こえてきても、当時の私達畜産農家は「口蹄疫を発生させてしまった宮崎県が悪いのだ」「感染拡大を抑え込めていないのは自分達が悪いのだ」と被害者ならぬ「加害者意識」にさいなまれ、何も言えず、ひたすら我慢し続けることしかできなかった。
だからこそ、ただひたすら「絶対に県外には出さない」と防疫を続けていたのだ。
今思えば、当時は見えなかった反省すべき点があった事も、もちろんわかる。
けれど「県外に口蹄疫を出さなかった」
このことは、宮崎県民は、宮崎の畜産農家は、もっともっと自信を持って良いし、自分達を褒め称えても良いと思う。
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本当は忘れてしまいたい当時の辛い経験を忘れ去るより伝えていくことが、これからの日本の畜産現場には必要な事だと改めて思い出ださせてくれた、そんな1冊だった。
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日本全国の自治体の畜産関係部署の方、宮崎を応援して下さった方々はもちろんですが、個人的には、当時「宮崎は何やってるんだ!」「宮崎の畜産農家が呑気だから」と怒りまくっていた全国各地の畜産農家の方々や、膨大な知識を基に、あるいは推測と憶測だけで宮崎を非難し続けていた方に、「実際、あの時、何が起こっていたのか」を知って頂くためにもぜひ読んで頂きたいと思っています。
※その他、当時の事が知りたい方へのお勧め本
★闘う!ウイルス・バスターズ 最先端医学からの挑戦
(朝日新書・河岡義裕、渡辺登喜子)
「連続対談 境政人さん 口蹄疫と闘う!」の中で、種牛の移動の経緯についても書かれている
★日本農業の動き174 口蹄疫この一年、畜産再建と危機管理
(農林統計協会発行 農政ジャーナリストの会編)
・農畜産業を活性化するため有畜農業の展開を模索・・・・・野村 一正
・口蹄疫とどう戦うか・・・・・・・・・・・帝京科学大学教授 村上 洋介
・生産者は口蹄疫にどう対応したのか・・・・JA宮崎経済連会長 羽田 正治
・世界に誇れる安全保障をどうつくるのか・・・農林水産副大臣(当時) 篠原 孝
・危機管理と畜産業の課題・・・・・・・・・日本獣医師会会長 山根 義久
★畜産市長の「口蹄疫」130日の闘い
(書肆侃侃房 橋田和実著)
内容紹介(Amazon)
畜産市長の異名を持つ宮崎県西都市の橋田和実市長が
口蹄疫という見えない敵と向き合った真実の記録。
獣医師や農家の人びとの肉声と西都市版初動対策マニュアルを同時収録。
これは我が国史上まれにみる大災害であり、まさに「口蹄疫が蔓延すると国が滅ぶ」に繋がるものであった。忍び寄る恐怖、発生確認から爆発的な感染拡大。泥沼のようなワクチン接種と殺処分の日々。主力産業である畜産の崩壊を止められるのか。西都市の口蹄疫対策本部長(市長)として現地の指揮を執り、畜産農家との話し合い、国や県への要望と交渉、埋却地用地交渉、そして殺処分埋却作業に携った市長にしか書けない克明な記録。口蹄疫が発生すると何が起きるのか?対処法は?今後の口蹄疫対策のバイブルとなる一冊。
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