口蹄疫・マスコミ報道他 12/30(木)~12/31(金)
遅くなりましたが、昨年最後の口蹄疫関連記事。
家畜伝染病予防法改正へ提言宮崎県で広がった口てい疫の問題を教訓にして、検討が進められている家畜伝染病予防法の改正を巡って、宮崎県は、国と自治体のどちらが対策に全責任を負うのか、はっきり位置づけるよう国に対して提言しました。
宮崎県で広がった口てい疫の問題を受けて、国は家畜伝染病予防法を改正することを決め、法案の検討を進めています。
これについて、宮崎県は、8項目にわたる提言書を農林水産省に提出しました。
この中では、具体的な対策は都道府県の責任で行うという今の法律の考え方について、
▼国が現地に対策本部を設置して自治体を指揮する形か、
▼都道府県の責任で対策を行うのであれば、国を含む関係機関を指揮する権限を知事に与える形に改めるよう求めています。また、大規模な農場については、県が衛生管理の状況をチェックできるよう報告書の定期的な提出を義務づけたり、飼育頭数の上限を設けたりすることを提案しています。
このほか、発生農場の家畜の補償を国が全額行うよう改める一方で、感染を見落とすなどした農家には補償金を支給しない罰則を設けることを提言しています。
宮崎県は、近くまとまる県の検証委員会の報告書を踏まえ、国に対して最終的な提言を行うことにしていて、どこまで法案に反映されるのかが注目されます。
12月30日 12時55分 NHKローカル
法改正、国と役割分担明確化を 県、口蹄疫で提案
2010年12月30日 asahi.com マイタウン 宮崎今年発生した口蹄疫(こうていえき)の防疫の際、実態と合わずに感染拡大の一因となったとされる家畜伝染病予防法の改正に向け、県は27日、農林水産省に対し、国と地方の役割分担の明確化など8項目の提案を行った。同改正は国で検討が進められており、発生県の考えが反映されるよう提案した。
県畜産課によると、役割分担の明確化では、感染力が強い口蹄疫などの法定伝染病が発生した場合に、指揮命令系統の一貫性や現場の実態に即した判断を確保するため、国が現地対策本部を設置することや、都道府県の責任と判断で防疫対策を実施する場合、必要な方針の決定権や国の機関への指揮命令権を知事に付与することなどを提案。
疫学調査の実効性の確保についても、発生農場への疫学調査に強制力を持たせることや、飼養状況、診療記録の保存提出のルールを定めることを提案した。早期発見・早期通報の確保については、意図的に通報しなかった場合や見落としがあった場合、手当金の不支給などの罰則を検討することも挙げた。
感染拡大を防ぐための通行の遮断のあり方についても提案し、発生エリアの一定範囲内について、市町村が完全封鎖などの遮断が可能となる法整備を行うこと、警察などとの連携協力態勢を構築することを挙げた。
多忙な日々幸せを実感 東児湯ルポ(宮日 2010年12月31日付)
「口蹄疫の年」2010年が終わろうとしている。終息宣言から約4カ月。新年を迎える県内の様子は例年と変わらず、被害農家も家畜の再導入が進むなど、未曽有の被害を与えた口蹄疫は過去の話のように思える。しかし爪痕はまだ残る。川南、都農町を中心とした東児湯地域では畜産経営を再開できず、「牛のいない正月」を迎える農家も少なくない。それだけに新たな年に復興、新生を託す気持ちは強い。年の瀬、かつての「口蹄疫激震地」を訪れ、思いに耳を傾けた。(報道部・奈須貴芳、写真部・米丸悟)牛舎に設置している有線放送のスピーカーから、今年のヒット曲が流れている。そこに牛の鳴き声がかぶさる。「口蹄疫の間は聴く気になれず、最近やっとまたスイッチを入れたところです。今は牛飼いができることが楽しくてしかたがないんですよ」。30日、木城町椎木の繁殖牛農家山下利幸さん(29)は牛舎の床を入れ替えるなど正月の準備に追われながら、畜産を再開できた喜びをかみしめていた。
生まれたばかりの子牛15頭を含む牛40頭はワクチン接種後の6月10日に殺処分された。「やっと経営が回りだした時だった。牛飼いになったことを初めて後悔しました」。当時、たまたま川南の実家に戻っていた妻と1歳、0歳の2人の息子は、そのまま実家にとどまり、2カ月間会えなかった。
口蹄疫発生以降の“空白の半年”を振り返り、「牛の世話に追われる毎日がこんなに幸せとは思わなかった。来年はものすごく忙しい1年であってほしい」と願う。牛舎には今月13、16日に生まれた子牛2頭があどけない表情でこっちを見つめていた。
◇ ◇
年の瀬の風景はいつもの年と同じだった。高鍋町の繁華街にある居酒屋「花いちもんめ」の店内は29日夜、忘年会でにぎわっていた。店主の図師義孝さんによると、口蹄疫の間は売り上げが例年より3割落ち込んだが、今月は1割減まで回復。図師さんは次々に入る予約の電話を取りながら、「年末年始は予約でいっぱい。口蹄疫の時には考えられなかった」と胸をなで下ろす。
座敷席では町内のキャベツ、白菜農家6人が焼酎グラスを傾けていた。橋本重美さん(62)は「風評被害があり、精神的に苦しかった。それでも、こんな田舎に全国から支援の目を向けてくれ、勇気が湧いた。いい野菜を作って恩返しがしたいですね」。
◇ ◇
爪痕が薄れつつある中、今も口蹄疫と向き合う人もいる。「今年は年末という気がどうしてもしません。いつ夏や秋が通り過ぎたのか。分からないんですよ」。高鍋町北高鍋の獣医師江藤健さん(45)は車の運転中など、ふとした瞬間に子牛を殺処分した時の感触がよみがえり、涙が止まらなくなる。
「来年は担当する農家にも子牛が生まれる。農家と笑顔を積み重ねることでしか、復興はないと思います」と、決意を胸に新たな年を迎える。
「来年は勝負の年」空の畜舎に誓う 東児湯ルポ(2010年12月31日付)
静まりかえった空の牛舎の裏山で、花芽を付けた17本のブルーベリーが寒風に揺れている。都農町川北の繁殖牛農家黒木直子さん(47)が殺処分された牛17頭を思い、植樹したものだ。ワクチン接種後、黒木さんを励まそうと友人が苗木を贈ってくれた。「花芽を見た瞬間、命がつながったと感じた。救われた気がします」。新たな年に経営再開を目指す。児湯地域には黒木さんと同様の農家がまだ数多くある。黒木さんは10年前に和牛の繁殖を開始。少しずつ母牛を増やしてきたが、ワクチン接種後の6月25日に殺処分された。一見すると殺風景な空の牛舎だが、牛がなめて大きくすり減った塩の塊や牛の毛が残り、半年前までそこに生命が存在したことを物語る。
飼っていた牛の名前が書かれた表札も。「この子は気が強かった」「『さくら』には期待していたんですよ」。表札を一つずつなでながら、黒木さんは牛たちの思い出を語った。
家畜の埋却地に案内してもらった。「夏は辺り一面、青草がまぶしかった。いまではすっかり枯れ草に変わってしまいました」。時の速さに驚きながら黒木さんは手を合わせた。
◇ ◇
来年春の経営再開を目指しているが、夫国義さん(53)と具体的な話は進んでいない。いまだ口蹄疫の感染経路が特定されず、韓国では爆発的に感染が拡大している。不安は拭えない。「牛たちは本当に死ななければならなかったのか。別の方法はなかったのか」との思いもある。口蹄疫を止めるために犠牲になった牛たち。「その勇気に負けないようにしないと」
川南町川南の養豚農家柳川勝志さん(39)は、再開を来年2月に控える。家畜がゼロとなり、再スタートする今回は経営を転換する好機でもある。生産効率を上げるため豚舎の構造などを変更するつもりだが、目標を決めきれず、準備は進んでいない。「自分が腹立たしい」と言う。
◇ ◇
農場周辺の道路には固まった石灰が所々残るなど、「戦いの記憶」はまだ生々しい。空になった豚舎を見ながら「ここでやめたら、埋めた豚に申し訳ない」とつぶやく。
大阪で生まれ育ち、3年前、妻ひとみさん(33)の実家が経営するこの農場に就農した。「開拓のまち」川南にやってきて、初めて畜産に取り組む柳川さんもまた“開拓者”だ。事務所の土間では、沖縄から開拓移住した祖母の新垣ミツさん(86)が自慢の菓子「サーターアンダギー」を揚げていた。
「川南には若手養豚農家が多いので、みんなで競い、支え合いながらやっていきたいと思います。来年はピンチをチャンスに変えるスタートの年。勝負の年にします」。柳川さんの言葉は、口蹄疫を体験したすべての人たちの気持ちを代弁しているように聞こえた。
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