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2010/09/29

口蹄疫・口蹄疫・「絆(きずな)シンポジウム」関連記事

9月23日に行われたシンポジウムの記事。
掲載されてから時間が経っているが、残しておきたいので・・・・・

畜産 盛り返そう
  「新生宮崎」へ思い共有  口蹄疫シンポ

 JA宮崎中央会と宮崎日日新聞社は23日、「口蹄疫・絆シンポジウム  食・農・環境第9回県民フォーラム」を、宮崎市のJA・AZMホールで開いた。

 基調対談、パネルディスカッションでは、「口蹄疫で学んだこと、全国からの激励や義援金に示された絆の感謝、新しい農業への取組みなどが語られ、詰め掛けた一般県民約500人も「新生宮崎」への思いを共有し合った。

 羽田正治会長と高千穂町出身で作家の高山文彦さんが基調対談した。羽田会長は「失ったものは多いが、同時に命、資源の尊さ、人間の絆を学ばせてもらった」「殺処分されるのだからと、餌をやらない大型農場もあったが、本当の農家は1頭1頭に最高の餌をやって別れを告げた。この理論が分からなければ、私は農業者とは言わない」などと語った。

川南町を取材した高山さんは「宮崎は畜産で挫折を味わった。乗り越えるには、畜産でもう一度盛り返し、失われた誇りを取り戻さなければならない」など、新たな「物語」の創造を提言した。

 畜産関係者3人へのインタビューもあった。都農町で肉用牛一貫経営の黒木誠さん(58)は「殺処分後、石灰で真っ白になった牛舎を見た時に力が抜けた」、川南町で養豚業の森本ひさ子さん(60)は「懸命に消毒したが、疲れのピークを見計らったように発生した」、獣医師の小島聖さん(39)は「殺処分はつらかった。精神的なダメージが残っている」などと語り、今後、地元畜産農家と検証して対策に生かしていくという。

 パネルディスカッションは川南町の養豚農家、料理研究家、宮崎市のまちおこしリーダー、大学准教授の4人が「描きたい~食、農、命  口蹄疫を乗り越えて宮崎の未来を語ろう」をテーマに話し合った。

日本農業新聞 9月25日付

宮崎日日新聞では9/24に特集

第1部 基調対談
 高山 文彦さん(JA宮崎中央会会長)羽田 正治さん(作家・高千穂町出身)

http://www.the-miyanichi.co.jp/special/kouteieki/index.php?id=26&paging=2

第2部 インタビュー 
http://www.the-miyanichi.co.jp/special/kouteieki/index.php?id=25&paging=2

伝えたい 黒木誠さん(58)(肉用牛一貫経営農家・都農町)

 4月の発生1例目は都農町だったが、その後川南町で発症が続いていたので、もしかしたら都農町ではもう発生しないのではないかと考えていた。5月の連休明けに都農町に3例目が発生したので驚き、心配した。この間、新聞やインターネット以外の情報がなく、携帯電話での友人とのやりとりが頼り。電話代は通常の3倍ほどになった。

 当時は毎日朝晩の消毒と、すべての牛の目視観察をしていたが、いつウイルスが入ってくるか不安だった。5月23日の午後、朝から餌を食べていない牛がいて、体温が42度あった。口蹄疫の症状は写真でしか見たことはなかったが、牛の状態を見て「これは感染しているな」とすぐ分かった。殺処分は5月25日。朝一頭一頭に餌をやり、「ありがとう、ごめんなさい」と言葉を掛けて別れた。牛のいなくなった石灰で真っ白の牛舎を初めて見たとき、力が抜けてぼうぜんとした。20年間かけて280頭まで増やしたが、今まで頑張ってきたのは何だったのかと言葉では表せないような気持ちだった。

 口蹄疫ウイルスは目に見えない。いつ再発するか分からないのでまだ不安はある。国には原因を早く究明してもらいたい。また、発生を水際で食い止めるために、飛行場や港での防疫を徹底してほしい。今後は「一斉消毒の日」を設けるなど、地域や県が一体となった防疫も必要だ。

 これからはもっといろいろなことを勉強して、全国の人に愛される新生宮崎牛をつくりたい。生まれたときからずっと牛がいたので、「人生で1回ぐらいは牛のいないゆっくりとした正月もいいかな」と、年明けの経営再開を計画している。今まで通り和牛一貫経営が基本だが、最初は妊娠牛を導入するなどして、来年の今ごろには以前の半分以上の頭数になるよう頑張りたい。(聞き手 都農支局長・鳥原章弘)

つながり豚に教わる 森本ひさ子さん(60)(養豚農家・川南町)

 1例目が発生した時は、「日本にもあるんだ」という認識で、よもやこんな恐ろしい病気だとは思いもしなかった。初めて恐ろしさを感じたのが、県畜産試験場川南支場で感染が確認されたとき。厳重なセキュリティーが敷かれた施設にウイルスが入り込んだことや、自宅から500〜600メートルしか離れていないこともあり、夫は「もう駄目だ」と弱音を吐いたこともあった。「自分らの豚を自分らが守らんでどうする」と、必死で消毒を続けた。「今日も無事でよかった」と胸をなで下ろし、すぐに「あすは発症するんじゃないか」と不安が襲ってくる毎日。周囲の農家で感染が拡大し、野焼きの火が広がるように自分らに近づくのが分かった。戦争を経験した母は「今日来るか、あす来るか。まるで召集令状を待つ気分」と形容した。

 懸命な消毒を続けていたが、疲れのピークを見計らったかのように自分の農場に感染疑いが発生。検体の検査結果を待つ間にも、畜舎を飛び越え感染が拡大するのに「早く食い止めるために、ほかの農家の方に知らせないといけない」と居ても立ってもいられなくなり、現状を伝える写真を宮崎日日新聞社に送った。

 殺処分の際、獣医師の方々は、私たちの豚に対する愛情を分かってくださっていた。親豚と子豚を一緒に埋却してくれたり、目を開けたまま死んだ豚の目をそっとつぶらせてくれたり。わが子を尊厳をもって送り出してくれて本当に感謝している。

 年齢、体力的に考えても、経営をすぐ再開というような気持ちにはなれない。ただ豚は、これまで自分がどれだけ多くの人とつながっていたのかということを教えてくれた。もう一度豚を飼うとなったときには、今までと違った気持ちで豚や人とかかわれると思う。(聞き手 口蹄疫取材班・奈須貴芳)

感情押し殺して処分 小嶋聖さん(39)(獣医師・川南町)

 川南町出身で、地元を中心に牛や犬猫など小動物の診療を行っている。都農町で口蹄疫が発生し、2例目から川南町に飛び火。以降、爆発的に感染が拡大し、「これはいけない」と思って5月20日から自主的に殺処分に参加した。対象が、普段から診療しているところだったため、牛の特性や農家の人たちもよく知っており、過酷な作業だった。

 殺処分は防護服と手袋を2枚重ね、長靴を履き、マスクも着ける。暑い日が続き、手袋や長靴の中に汗がたまった。大量の水分を補給したがトイレはほとんど行かなかった。多い日で600〜700本ほどの注射を打ち、右手を疲労骨折した。

 鮮明に覚えているのは、以前、難産で取り上げた子牛を自分の手で殺さなければならなかった時。「本当にしなければいけないのか」としばらく考えた。しかし殺処分には早さが求められ、感情を押し殺し、冷静に淡々と作業する必要がある。地元とのつながりが深い分、精神的に予想以上につらかった。

 殺処分後、近隣に家畜がいなくなって仕事が減り、することがなくぼーっとしていると、今でも当時の光景が頭に浮かぶ。観察牛が風邪を引いて、抗生物質を打つ瞬間、「これは殺処分で使っていた薬ではないか?」などと、ためらってしまう。精神的なダメージは今も残っており、いつまで続くのか心配だ。

 これまでの検証がなされないまま、先に観察牛が導入された。非常に怖いことだと思う。私の担当農家は、年明けから経営を再開すると話している。今後、農家と一緒に口蹄疫の検証をするつもりだ。互いにコミュニケーションを取りながら、衛生管理などの指導を徹底していく。生産性を求めるとどうしても過密飼育になる。自然と協調しながら伸び伸びと家畜を育ててほしい。(聞き手 口蹄疫取材班・草野拓郎)

第3部パネルディスカッション
 口蹄疫を乗り越えて宮崎の未来を語ろう

http://www.the-miyanichi.co.jp/special/kouteieki/index.php?id=24&paging=2

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